【コラム_04】住宅の設計に関わって


平成も残りわずかとなりました。
4月には新元号が発表されます。
この30年間振り返ると、技術の発達が目覚ましく、ライフスタイルも変わり、同時に価値観も変わってきたように思います。アニメの世界だと思っていたものが実現したり、ヴァーチャルな世界が現実以上にリアルだったりします。来たる新時代、どうなるのか期待と不安が入り混じっています。
気づけば住宅の設計に携わって四半世紀以上が経ってしまいました。
あっという間だったように感じます。
平成も30年通じてみると、ずいぶんと社会が変わってきたように思います。
そう感じるというのは自分自身が年を取ってきた証拠かもしれません。
社会が変化すれば、それに伴って価値観やそれを取り巻く環境も変わってくるのも当たり前のことかと思います。

日本は世界稀に見る災害大国ですが、中でも平成の30年間は大きな自然災害が多かったように感じます。設計に関して言えば、大災害が起きるたびに設計基準も改善され、厳格化され、スペックアップもしてきました。もう一方で社会変化のスピードとニーズに応えるためにその歪みが露見し大きな社会問題になることも多々ありました。こうして様々な外的要因により建物に求められる基準が変わって、基本性能の向上が図られてきました。
これまでグレーだった部分をはっきりさせ、曖昧さをなるべくなくそうとし、緩和できるものは緩和したり、新しく法制化されたものも多くあります。

ある意味、設計環境が整備されたことで良い方向に向かってきたと言える部分がある一方で、複雑になりすぎて煩雑になり、人によって解釈が異なることも時折あり、行政によって判断が違うケースで戸惑うこともあります。まだまだ改善の余地は多くあるとは思いますが、今後変わっていくとは思います。
またここ20年ぐらいのコンピューターの進歩は設計する側としてはより精度の高い図面を書くことができ、様々な造形を生み出すことが可能となったと言えます。
しかし一人でも多くの図面を描くことができるため、昔に比べ検討可能項目が増え、作業量自体はコンピューター化による効率化以上に増加している。
さらに性能の見える化が求められる時代となり、計算により数値化された設計が求められるようになったと感じています。住宅性能表示制度ができて20年弱、時代とともに認知され、作り手と住まい手の両者が住宅の性能に関心を持つようになったということだろう
しかし性能が上がるとコストが上がる、デザインが良くない、施工が難しいでは住まい手にとってメリットがない。したがって性能、コスト、デザイン、施工のバランスが重要になってくる。
日々の技術の進歩や毎年出てくる新商品への対応は設計する場合でも大変ですが、施工側の対応も昔に比べ、多くの知識及び経験が必要になってきていることも確かです。現場の職人さんも次から次へと変わっていく基準に対して知識も必要だし、施工ができなくてはならない。また性能を担保するには施工精度も求められます。机上の性能に終わらないようにするためには、住宅でも現場施工管理をする現場監督が重要になります。住宅の完成度は設計以上に現場監督の力量が大きく関わってきているということも感じています。設計者として監理する際は、必ずつけてもらうようにします。
住宅設計では意匠、構造、設備、環境、施工、コスト等、あらゆることをこなさなければなりません。大規模な建築と異なり、住宅規模の設計は部分的には分担できるものもあるとはいえ、最初から最後まで見届けることができる仕事であると言えます。基本的に施主となるのは個人が中心で、様々なライフスタイルがあり、設計条件もさまざま。住宅は個人のものでありながら、社会の一部であり、景観の一部にもなることから個人の領域と公共の領域の境界をどう設計するかということも考えながら、最適解を導き出すためには苦労することも多いですが、やりがいのある仕事だと思っています。

社会や人々の趣味嗜好は時代とともに変化していきますが、時代の流れにも対応しながら長く住み継がれるような住まいを提案できるように今後も頑張っていければと思っています。

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